大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和61年(う)653号 判決

本籍

大阪府堺市大美野一〇番地の一六

住居

右同所

医師

田仲紀陽

昭和一〇年八月二四日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六一年三月一九日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 谷本和雄 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人里見和夫、同氏家都子連名作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官谷本和雄作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一(事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、(1) 修繕書について、昭和五五年六月北条田仲産婦人科内科内に透析センターを新築した際の工事代金二八五五万円のうちの四七〇万九〇〇〇円は、既設病棟の病室の一部取り壊しに伴う補修工事に支出したもので修繕費であり、仮に右の判断が妥当でなかったとしても、見解の相違であってほ脱の故意がなく、(2)支払手数料について、〈1〉 顧問税理士小原覚三に正規の報酬とは別に簿外で昭和五五年及び昭和五六年に各四〇万円支払手数料を支払っており、〈2〉 田仲北野田病院(以下、新病院という。)の新築工事を行うに際し、昭和五六年中に支払い、あるいは支払が確定した住民対策費二〇〇〇万円、北野田水利組合に対する放流分担金七〇〇万円、狭山池土地改良区に対する河川管理協力金等二六六万〇〇三四円は、いずれも新病院の建設によりこれらの者に何らの損害を与えるものではないのに支払いを余儀無くされたもので異常な支出であり、また、堺市に対する開発協力金六七七万八〇〇〇円は一種の寄付金であるから、これらの合計三六四三万八〇三四円は必要経費であり、(3) 給料賃金について、昭和五五年中、登美ケ丘田仲診療所の事務員沖田益美が、アルバイトで稼働していた松井義明医師へ支払うべき給料二〇万円を着服したため、被告人が改めて同医師に支払ったが、これは簿外給料として必要経費であり、(4) 雑損失について、前記沖田益美は、〈1〉 昭和五三年一二月から昭和五五年七月迄の間、入院患者の前納金を日計表に記載しないで合計二〇八九万円を着服横領し、〈2〉 昭和五五年夏、黒川賢子から預かった同人の娘前東厚子の入院前納金二〇万円を入金記帳しないまま着服したため、被告人において同年八月黒川に同額を返還し、〈3〉 登美ケ丘診療所で入金記帳したものの中から、一箇月少なくとも三〇万円を横領していたから、同人は昭和五四年一月から退職した昭和五五年七月まで合計五七〇万円(昭和五四年分三六〇万円、昭和五五年分二一〇万円)を横領したことになり、これらは雑損失となるところ、以上(1)ないし(4)のいずれも経費として認定しなかった原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するのに、原判決挙示の各証拠によれば原判示事実は肯認でき、また、原判決が「事実認定の補足説明」の項で、所論と同旨の原審における弁護人の主張に対して詳細に認定、説示するところは、後に付加、訂正する点以外はいずれも相当であり、原判決には結論において事実誤認はなく、論旨は理由がない。

修繕費について

所論は、北条田仲産婦人科内科内の透析センター新築工事の際、同時に修繕的工事の行われたことは、請負契約書に「既設病棟の一部取り壊しに伴う補修、取合復旧、手洗撤去、ファンコイル撤去」等とあることからも明らかである、というのであるが、業務の用に供されている固定資産の修理又は改良のために要した費用のうち、直接的な修理又は改良等の費用が資本的支出に相当する場合には、これに伴う間接的な費用についても資本的支出に相当するものと解されるところ、関係各証拠によれば、所論指摘の工事部分は、既設病棟と透析センターとを結ぶ渡り廊下の新設工事の一環としてこれに伴って行われたものと認められ、また、本件渡り廊下のように、既設の建物に物理的に付加した部分に係る費用は資本的支出に当たるので、右の工事部分の費用は渡り廊下の新設に伴う間接的な費用で資本的支出であるから、当該資産取得のために現実に要した費用として建物の取得価額に加算すべきもので修繕費とみる余地はなく、透析センター新築に伴う工事中に修繕費に当たる部分はないとしした原判決の判断は相当である。

新病院建設関係支払手数料について

所論は、堺市に対する開発協力金は一種の寄付である、というのであるが、仮にこれを寄付と解する余地があるとしても、その必要経費算入時期は、現実に支出した年度とされるところ、関係各証拠によれば、本件開発協力金が支払われたのは昭和五七年二月一九日であって、昭和五六年一二月末現在では未だ支払われていなかったものであるから、昭和五六年度の必要経費として計上することは許されないので、原判決の結論を左右するものではない。

なお、原判決は、新病院建設関係支払手数料については、いずれも建物取得価額ないしは繰延資産であるとするが、各支払手数料のうち、北野田水利組合に対する下水放流浄化槽設置協力金及び狭山池土地改良区に対するもののうちの浄化槽負担金、水路維持管理一部負担金については、水利権ないしは水道施設利用権に準ずる無形減価償却資産の取得価額と解するのが相当である。

しかしながら、関係各証拠によれば、北野田水利組合に対しては昭和五六年一二月二九日に七〇〇万円が支払われているものの、新病院が完成し被告人が引き渡しを受けたのは昭和五八年五月一〇日であって、前記無形減価償却資産は昭和五六年中には事業の用に供されておらず、また、狭山池土地改良区に対しては昭和五六年一二月末現在では未だ現実に支払われていないのであるから、いずれにしても昭和五六年分の減価償却の対象とはならないので、原判決の結論には影響しない。

控訴趣意第二(量刑不当の主張)について

論旨は、要するに、原判決の量刑不当を主張し、とりわけ罰金額は多額に過ぎるので減額されたい、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するのに、本件は、医師で病院を経営する被告人が、昭和五四年ないし昭和五六年の三年度にわたり総計二億三三六二万円余という多額の所得税を免れた事犯で、ほ脱率も三年度平均で九〇パーセントを越え、極めて高率であること、その手口も収入の除外、架空仕入れの計上など巧妙かつ悪質なものであることなどに徴すると犯情は重く、被告人が金融機関から融資を受け、更正、決定による三年度の本税、付帯税、加算税等の総額を既に納付していることのほか、本件犯行の動機、被告人が地域医療に貢献していること等所論の各情状を十分斟酌しても、被告人を懲役一年四月、三年間刑執行猶予、罰金五〇〇〇万円(求刑 懲役二年、罰金八〇〇〇万円)に処た原判決の量刑は罰金額の点を含め重すぎると考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西村清治 裁判官 濱田武律 裁判官 瀧川義道)

昭和六一年(う)第六五三号

○控訴趣意書

控訴人 田中紀陽

右の者に対する所得税法違反被告事件について、弁護人の控訴趣意は左記のとおりである。

昭和六一年一〇月六日

弁護人 里美和夫

同 氏家都子

大阪高等裁判所

第三刑事部 御中

第一、事実誤認

原判決には以下に述べるとおり事実誤認の違法があるので破棄されるべきである。

一、修繕費(五五年)

1、原審において弁護人は、昭和五五年六月被告人が北条田仲産婦人科内科(以下「北条診療所」という)内に透析センターを新築し、それに伴う工事をした際に要した工事代金二八五五万円のうち、金四七〇万九〇〇〇円を修繕費として計上した被告人の処理に何ら問題はないと主張したが、原判決は、〈1〉北条診療所事務長平井六郎および登美丘田仲診療所(以下「登美丘診療所」という)事務長境孝は、透析センターおよび渡り廊下新設工事内容を熟知し、あるいは十分知りうる立場にあった者であるから、右透析センターおよび渡り廊下の工事を修繕であると解していたものとは考えられない、〈2〉平井および境において右二つの工事のうち具体的にどの部分を修繕と考えていたか不明である、などとして平井および境証言を措信せず、右二つの工事に修繕に該当するものはないと判示して、弁護人の主張を排斥した。

しかし、原判決の右判断は、証拠の評価を誤ったものである。

2、北条透析センター新築工事の際、同時に修繕的工事も行われたことは、証人平井および同境の証言ならびに請負契約書(押57)中の「既設病棟の一部取毀に伴う補修、取合復旧、手洗撤去、ファンコイル撤去」等の記載によって明らかである。

新築工事、改造工事に際して、同時に修繕的工事を行った場合、その修繕的部分の全体に占める割合が小さいときには、主たる工事に一本化されて見積書が作成され、領収証が発行されることは通常しばしば見られるところであるから、領収証等の記載のみによって資本的支出と速断することは妥当でない。ある工事が資産価値を増加させるものであるか修繕的なものであるかは工事の実質に即して判断されるべき事柄である。

本件北条透析センターの場合、透析センター新築工事だけではなく、既設建物への修繕的部分が含まれていたことは、境が平井に問い合せあるいは図面等を見て確認しているのであり(原審第六回境証言二三丁)、右確認に基づいて、工事代金総額二八五五万円のうち、金四七〇万九〇〇〇円を修繕費として判断して、経費計上したものであるから、右処理に何ら違法はない。

右証言当時境証人は既に登美丘田仲診療所を退職し、被告人とは何ら利害関係がなかったから、境証言は十分信用できるというべきである。

ところが、原判決は、透析センター新設工事に関しては、前記「補修、復旧、撤去」等の文言を無視して、修繕に当たる部分は存在しないと断定し、渡り廊下新設工事に関しては、同工事中に含まれている既設病棟部分の工事は、渡り廊下の性質上、その新設に伴い当然必要な工事であるから、右接続部分の工事費も建物取得費に当たり、修繕費ということはできないとしている。

透析センターに関する原判決の右判示に対する批判は前述したとおりである。渡り廊下について更に付言すれば、ある工事費が資本的支出、修繕的支出のいずれであるかを判断する基準は、耐用年数を延長させる支出か否か、あるいは当該資産の価値を高らしめる支出か否か、であると言われており、この観点から右既設病棟部分に関する工事費を見るとき、耐用年数を延長させるものではなく、また価値を高めるものでもないことが明らかであるから、修繕的支出と考えるべきである。

3、仮に、境の右判断が妥当でないという見解があったとしても、それはあくまでも見解の相違であって、逋脱の故意は存在しないから、被告人に逋脱犯の罪責を問うことはできない。

ところが、原判決は、境や平井らの認識を問題にし、境らは、被告人からその所得を減ずるよう指示され、その意を体して、修繕に当たらぬものまでもこれに含ましめて必要経費を増額させ、税額を少しでも低くしようとして行ったものであるから逋脱の故意は当然に存在すると判示している。

しかし、「修繕として考えられるものは最大限計上して所得金額を減縮する」という考え方は、本来ならば計上できる経費を見逃して、余分の税金を支払う必要はないという節税の意識であり、節税は、それが相当な手段によって行われる限り何ら問題はないはずである。ところが、本件のように税額を低く抑えるために収入除外などの典型的逋脱行為を行っている場合には、それ以外の方法が節税のための相当な手段であっても、典型的逋脱行為を行った事実に引きずられて、本来節税のための相当な手段であるはずの部分についてまで後ろめたい認識を抱くことがある。境が平井への連絡メモに「バレてしまいます」と記載したのも、平井が原審で北条透析センターの工事代金の一部を修繕費として計上したことに関し、「結局節税になると思う」と証言したのも、いずれも典型的逋脱行為の存在に引きずられた結果である。事実平井は、右証言の前後において、弁護人の質問に対し、北条透析センターの新築工事の際、同時に修繕的工事を行った事実および右修繕的工事に関し境に説明した事実を的確に答えていたのである。

4、以上によって明らかなとおり、境や平井の主観的認識に混乱があったとしても、客観的事実として修繕的部分が存在しており、境が右事実を確認したうえで、工事代金総額のうち金四七〇万九〇〇〇円を経費として計上しているのであるから、右処理に何ら問題はなく、原判決は失当である。

二、支払手数料

1、税理士報酬(五五、五六年)

(一)、弁護人は、被告人が昭和五五、五六年において小原覚三税理士に対し、正規の報酬以外に計四~五回一回当り金二〇~三〇万円を支払っている事実(原審衣笠光雄証言)を掲げ、これは簿外で支払われたものであることが明らかであるから、支払手数料(税理士報酬)として認められるべきであると主張した。ところが、原判決は、衣笠証言は措信できないとして、弁護人の右主張を排斥した。

(二)、しかし、衣笠証人は、小原税理士に正規の報酬以外に四~五回、一回当り金二〇~三〇万円を支払った事実は明確に認めているのであり、一方登美丘診療所の五四・五五年分実際元帳(押8)、五六年分実際元帳(押10)のいずれにも右支払の記載がないことは原判決も認めるところであるから、他にこれを否定する証拠がない以上、簿外支払手数料の存在は明らかであると言わねばならない。

原判決は、衣笠が捜査段階において、医師招へいのための簿外接待交際費や鄭伝可医師の簿外給料について供述しておりながら、右簿外税理士報酬について何ら触れていないという点を衣笠証言に対する疑問として出しているが、本件と税理士との関係を考慮した衣笠が、既に退職している鄭医師に対する簿外給料とは異なり簿外税理士報酬に触れなかったとしても、それは十分理解可能な事情が存するものと言うべきであり、衣笠証言の信用性を否定する材料とはなりえない。

2、新病院建設関係支払手数料(五六年)

(一)、弁護人は、被告人が昭和五六年一二月二五日付(仮)工事請負契約書および昭和五七年二月二七日付工事請負契約書に基づき、ユニチカ株式会社に対して支払義務を負担した「近隣対策費二〇〇〇万円」、被告人において直接支払った北野田水利組合放流分担金七〇〇万円、狭山池土地改良区河川管理協力金二六五万六〇三四円および堺市開発協力金六七七万八〇〇〇円合計金三六四三万四〇三四円(以下住民対策費等という)については、土地または建物の取得価額の概念になじまず、むしろ全額経費(支払手数料)と認めるべきであると主張した。

ところが、原判決は、弁護人の右主張を全て排斥した。

しかし、原判決は、本件住民対策費の性格を誤解しており、失当である。

(二)、税法上、固定資産の取得価額には購入代価または製造原価のほか付随費用を含めることが原則とされているが、いかなる付随費用を取得価額に算入すべきかについては税制上も明確な基準は存在しない。弁護人は、右の判断をするについて、若干性質は異なるが、いかなる費用を棚卸資産の原価に含めるべきかに関する「原価計算基準」(昭和三七年、大蔵省企業会計審議会中間報告)が参考になると指摘した。右原価計算基準において非原価項目(即ち、本件に即して言えば、取得価額に含めるべきでない費用)の一つとして、次のものが掲げられている。

(1) 寄付金であって経営目的に関連しない支出

(2) 異常な状態を原因とする支出

火災、震災、風水害、盗難、争議等の偶発的事故による損失違約金、損害賠償金

偶発的債務損失

(1)は経営目的に関しないもの、換言すれば固定資産の取得価額自体に関連性を有しないものであり、(2)は異常性のある損害である。異常か正常かは社会通念によって決すべき事柄であるとされている。

以上の基準は、尾池税理士がその証言の中で明らかにした「固定資産はできる限り、資産的価値のあるものだけで評価すべきであり、放流分担金や開発協力金などのように行政やそれに関係する団体に入れば消えて返って来ないものは、取得価額に含めるべきでない。」という考え方とも合致している。

右基準ないし考え方が正当かつ合理的であることは、原判決がこれらに対する正面切った批判をなし得ていないことによっても明らかである。

(三)、右基準をもとに新病院建設関係支払手数料の各項目に対する原判決の判断を検討する。

(1)、住民対策費

原判決は、被告人が新病院建設に際し、住民対策費名目で支払うことを余儀なくされた金二〇〇〇万円(実際にユニチカから住民に支払われた金額は金四〇五万円であるが、本来精算されないものである以上、被告人の支出した金額が基準とされるべきである)について、その性格を「近隣住民に対する建設補償費」と規定し、本件新病院のような大規模な建物を建築するに際し、近隣住民に支払われる「建設補償費」は、当該建物を建設するために要した費用であり、建物の取得価額に含まれると認定した。

しかし、右認定は、「住民対策費」が一体何を補償するものであるかについて何らの検討も加えておらず、弁護人の福湯正義証言などに基づく主張にも全く触れない不当なものである。

原審において詳細に主張したとおり、本件新病院は、日照阻害、風害等の問題は一切なく、電波障害は解決ずみであり(福湯証言)、ラブホテルや公害企業とは異なり、地元住民に何らの迷惑も及ぼすものではなく、むしろその進出が歓迎されていたものである(衣笠証言)。従って、補償を要する住民の被害は全くないと言ってよい。

にもかかわらず、被告人が住民対策費金二〇〇〇万円を支払わざるを得なかったのは、一部の者の金めあての反対により、工事着工が遅延することを恐れ、右理不尽な要求に屈したためであるから、右住民対策費は、通常右地域において固定資産(土地、建物)を取得する場合に必ず負担することを義務付けられている費用とは到底言えず、まさに異常な支出というべきものである(原審尾池和雄証言)。

従って、建設補償金が建物建築に通常必要な費用であるとした原判決の認定は、それが公知の事実であるとの考え方に立たない限り、証拠に基づく認定とは到底言えない。そして、もし、原判決がそのような考え方に立っているのであれば、本来是正されるべき「建設工事に対する住民(地域ギス)の金たかり傾向」を裁判所が無批判に肯定し助長するものであって、はなはだ遺憾である。

(2)、北野田水理組合、狭山池土地改良区、堺市に対する負担金等

これらについて、原判決は、〈1〉「現説事項」と題する書面に「堺市水道負担金、放流負担金は別途」と記載していることからすれば、新病院の建築注文者である被告人としては、少なくとも堺市水道負担金及び放流負担金名目の支出は、予想していたものと窺われること、〈2〉被告人は、五六年一二月、五七年一月ないし二月という工事着工前の早い段階で負担金等の支払をしており、右支払につき正当の理由のない負担金等として難色を示した事情は認められないこと、〈3〉堺市に対する開発協力金は堺市宅地開発等指導要綱に基づき、北野田水理組合や狭山池土地改良区に対する負担金等は堺市の行政指導に従い、それぞれ支払われたものであること、〈4〉負担金の内容からしても、北野田水理組合に対する下水放流浄化槽設置協力金や狭山土地改良区への浄化槽、水路維持管理の負担金等は新しく病院を建設する上での協力金ないし負担金として格別異常な支出とは認められず、堺市に対する開発協力金についても同様に解されること、を理由として、これらの支出が新病院の建設取得ないし新病院での事業と関連しない支出あるいは偶発的で異常な支出ということはできず、むしろ、病院を建設取得するに際し、通常要する経費とみるのが相当である。と判示した。

しかし、「現説事項」に「堺市水道負担金、放流負担金は別途」という記載があることは、被告人が右負担金を無条件に認めていたことを意味しない。なお、堺市水道負担金は、本件の争点である支払手数料には含まれておらず、無関係である(福湯証言)。

北野田水理組合等に対し放流分担金等を支払うべきか否か、支払うとしてどの程度の金額とするのかについては、「現説事項」と題する書面の作成されるかなり前の交渉課題となっていたのであり(衣笠証言)、その結果新病院建築工事着工のためには不本意ながら支払わざると得ないことが明らかとなった段階で右「現説事項」と題する書面が作成されたのである。従って、負担金等の支払をすすんで受け入れたわけではないことが明らかであるから、現判決の前記〈1〉、〈2〉の判断は失当である。

〈3〉の本件負担金等が堺市の行政指導により支払われたものであるとの点は、昨今行政指導の行き過ぎが指摘されているように、行政指導と称して建築施行者に対して過大な負担金等の支払を事実上強要する場合が多々あるから、「行政指導に基づくものである」ということだけで本件負担金等が全て建物取得に必要な費用とされるべきではなく、個々の支出の性格に則して検討されるべきである。

そして、北野田水理組合放流分担金、狭山土地改良区河川管理協力金、堺市開発協力金を個々的に検討すると右〈4〉の理由も成り立たないことが明らかである。

北野田水理組合放流分担金は、新病院から同組合の排水路への汚水等を排出することに関するものであるが、右排水路は堺市に帰属しており、管理責任も堺市が負担しているから、北野田水理組合の負担増は一切なく、また新病院の排水等によって同組合が損害を受けるとの具体的指摘も現実的可能性も全く存在しない。このことは、もし、新病院の排水が浄化槽によって浄化してもなお被害を発生させるのだとすれば、その第一の被害者は新病院より下流の美原町水利組合になるはずであるが、同組合からは新病院の排水による被害に関する申し入れが全くなされていないという事実によっても裏付けられている。

以上によって明らかなように、放流分担金は、堺市が建築確認申請に際し、地元水理組合の同意を得るよう行政指導していることを奇貨として、地元水理組合が建築主に要求する法外な同意料名下の金員にすぎず、異常な状況を原因とする支出と言うべきである。

狭山池土地改良区河川管理協力金についても同様である。排水路に関する問題は、北野田水利組合について述べたとおりであるが、この狭山町土地改良区に至っては新病院より上流に位置しているから、新病院の排水による負担増や損害とは完全に無縁であり、河川管理協力金の異常性は一層明らかである。

堺市開発協力金は、一種の寄付金であり、前記の基準や尾池税理士の指摘に照すと、取得価額に含めることには疑問がある。その後、昭和五九年八月以降病院等公共的性格を有する建築物については、開発協力金を徴求しない取扱いに変更されているという事実(福湯証言)は、右開発協力金の性格を端的に示している。

ところが原判決は、以上の指摘を何ら説得力ある理由を示さないまま、ことごとく排斥しており、不当である。

(3)、以上によって本件新病院関係支払手数料が固定資産の取得価額ではなく、異常な支出として一括して損金処理できる経費であることが明らかであり、原判決には事実誤認があると言わざるを得ない。

三、給料賃金

弁護人が登美丘診療所に勤務していた事務員沖田益美において昭和五五年アルバイト医師松井義明の給料を着服横領し、その後これを精算しないまま退職したため、被告人において改めて同医師に金二〇万円を簿外で支払わざるを得なかった事実を取り上げ、同金額を同年分の必要経費に加算すべきであると主張し、証拠として藤井辰子証言、境孝証言を掲げたのに対し、原判決は、このような場合に通常なされるべき記帳ないし経理処理がなされていないから、藤井証言および境証言は措信できないとして、弁護人の主張を排斥した。

しかし、沖田が右着服横領後余り時をおかずに退職したこと、沖田の退職後境孝が調査したところ、まともな帳簿は殆どなく、伝票類も混乱を極めていたため、経理帳簿の正確な再現は不可能であったこと、は証拠上明らかであるから、原判決の右判断は、当時の状況を無視した議論と言わざるを得ず、失当である。

四、雑損失(五四年ないし五六年)

1、原審において弁護人は、沖田益美の横領による雑損失について次のとおり主張した。

(1)、窓口現金収入に関し、沖田は、入院患者から受け取った前納金を日計表等に記載しないで着服し、昭和五三年一二月から昭和五五年七月までの間に少なくとも金二〇八九万円を横領した。

(2)、右(1)の方法で、沖田は、昭和五五年春頃黒川賢子から同人の娘前東厚子の入院費用として預った金二〇万円を着服横領した。

(3)、入院患者から受け取った前納金を日計表等に一旦記載した後、一部着服する方法により、昭和五四年一月から昭和五五年七月まで一ケ月平均少なくとも金三〇万円合計金五七〇万円 ――――同意書面として取調済の三宅道夫の昭和六〇年九月二〇日付陳述書(弁五二号証)によれば、「少なくとも一ケ月平均金二〇万円、従って、昭和五四年一月から昭和五五年七月まで計金三八〇万円は下らない」 ――――を着服した。

2、ところが、原判決は、右(2)について沖田による右横領の事実を認めながら、公表の五四年度・五五年度・五六年度金銭出納帳(押一一)の昭和五五年八月八日欄に「前東返金二〇万円」の記載があることから、ただちに右金二〇万円については、昭和五五年分の所得申告において損金として処理されているものと判断して、結局弁護人の主張を排斥した。

しかし、当時の帳簿、伝票が混乱の極にあったことは、既に指摘したとおりであるから、原判決の右判断には論理の飛躍があると言わざるを得ない。

3、更に、右(3)について、原判決は、弁護人主張の雑損失(貸倒損失)が必要経費として認められるためには、昭和五六年分の確定申告の段階で、横領の事実を覚知し、被害金額も把握可能な程度に確定していたことを要するものとし、本件においては、被告人は、昭和五六年分の所得の確定申告の段階では、横領の実態や被害金額を未だ覚知していなかったから、右横領金額を必要経費とすることはできない、と判示する。

しかし、沖田の横領の方法が、前記(1)、(2)にとどまらず、(3)の形態でも存在することについては、被告人は、日計表と現金とが合わないという出来事があったことから気付いていたのである(藤井辰子証言、被告人の公判廷供述)。そして、(3)の形態による横領金額は、客観的には当時既に確定していたのであるから、その客観的に確定していた金額の正確な数字を被告人が覚知していないというそれだけの理由で、必要経費への算入を認めない原判決の考え方は、独自の見解と言わなければならず、また原審の審理経過とも矛盾する。即ち原審において、右(3)の点について、検察官は、その方法による横領は一切存在しないと主張していたが、ただ、もし、右形態による横領が何らかの証拠により証明されるならば、それを昭和五六年分の所得計算において必要経費として処理することに異議はないという態度だったのであり、裁判所もこれを前提として、右横領金額に関する合意書面もしくはそれに相当する書面作成の可否を検察官、弁護人の双方に打診した。その結果、弁護人が提出したのが三宅道夫作成の陳述書(弁五二号証)であり、検察官は、同書証を証拠とすることに同意したのである。

従って、原判決の右判示は、右審理の経過に照すと不意打ちとも言うべきものであり、到底承服できない。

五、結論

原判決は、北条透析センター新築工事に関連する費用の中で、厨房機器等の新設とそれに伴う工事に関する費用金四〇万円のみを結果として必要経費と認めただけで、その他の部分については弁護人の主張を全て排斥したが、以上述べたとおり原判決の認定には事実誤認があるから、破棄を免れない。

第二 量刑不当

原判決は量刑不当の違法があり、破棄は免れない。

一、弁護人は、原審において、被告人の情状として次の諸点を主張した。

1、被告人の医療に対する基本姿勢

被告人は、地域医療の充実と患者本人を中心とした医療の確立を目ざし、全力を挙げて医療に従事してきた。この基本的姿勢は、医師免許を取得して以来今日に至るまで被告人の医療行為において変ることなく堅持されている。

被告人が、登美丘診療所から片道三時間近くを要する遠方の兵庫県加西市に北条診療所を敢えて開設したのも、地域医療の充実を使命と考える被告人の基本姿勢のあらわれである。

しかも人口五万人の加西市において救急患者を受け入れるのが唯一被告人の経営する北条診療所のみであるという事実、加西市民病院すらがその義務を果していない中で、加西市のみにとどまらず、周辺の加東郡、小野市、西脇市、中播地域等からの救急患者を一手に引き受けているという事実は、被告人がその医療に対する基本姿勢を忠実に実践していることを示している。これが被告人にとって精神的、肉体的にいかに厳しいものであるかは、片道三時間を要する登美丘と北条を往復して、被告人がかけ持ちで診療に当り、夜間診療、当直などを含め一週間殆ど休む間もなく働かねばならないという状況を見れば、たちどころに理解できる。

2、本件の動機

被告人は、前述のとおり昭和五一年加西市の強い要望により、当時有床の産婦人科のなかった加西市民病院にかわって産婦人科診療等を行うべく北条田仲産婦人科内科(北条診療所)を開設した。これが被告人にとって精神的、肉体的に極めて過重な負担であったことは前述したとおりである。

しかも右北条診療所の開設に際し、加西市は、旧市民病院跡敷地八一九三・一一m2全部を被告人において金二億二七七六万八四五八円で買取るよう要請したのである。産婦人科内科の診療所を開設するうえではこのような広大な土地は全く不要であったが、被告人は、これから同人が地域医療に従事する地元加西市の要望を快く受け入れることにした。

診療所の開設には本来不要な広大な土地の買取りという条件や片道三時間を要する厳しい立地条件を受け入れなければならない北条診療所の開設は、経営的に見ればいかに無暴なものであるか明らかであった。それにもかかわらず敢えて開設を決断した事実は、被告人の地域医療に対する熱意を端的に示すものである。

しかし、現実が、医療に対する熱意だけでは解決し得ないこともまた冷厳な事実である。まず被告人は、診療所の開設には本来必要のない広大な土地を買取るための資金づくりで大きな困難に遭遇した。医療金融公庫は、経営的に見て危険であるとして融資申込に難色を示したのである。加西市長名で出された要望書(弁護人請求1)はこの間の困難な状況をよく物語っている。このようにしてようやく融資を受けることができたが、今度は、右借入金の返済に苦しむことになったのである。

被告人が本件逋脱行為をはじめた最大の動機は、右借入金の返済資金の調達であった。

以上のような動機には十分同情の余地がある。

また被告人は、前述したとおり沖田益美の横領によって多大の損害を蒙った。右横領の事実が発覚したのは昭和五五年七月であったが、昭和五五年分の所得計算において、広島薬品の領収証を偽造して約三〇〇〇万円の架空仕入を計上したのは、右横領による損害の穴埋めが主たる動機であるから、この点についても同情に値する。

3、本件犯行の態様

本件犯行の態様は悪質なものではない。確かに二重帳簿は作成されていたが、それらは全て同一場所に保管されており、また操作の手順や棚卸在庫の減額を指示したメモが全てきっちりと綴られているなど、その手口、方法は極めて稚拙である。しかも被告人は、右のような操作が行われていることを殆ど認識しておらず、帳簿やメモ等の管理に全く無頓着だったのである。帳簿やメモ等が大量に押収されている事実は、このことを何よりもよく示している。

4、被告人の反省と再犯のおそれの不存在

被告人は、本件を心から反省し、税務署と協議のうえ、その指示に従って納税を履行している。

また今後二度と同様の誤りを犯すことなく、適正な申告を行うために、当公判廷にも証人として出廷した尾池和雄税理士を顧問に迎え、記帳から確定申告書作成に至るまで全面的な指導を受けており、再犯の主観的意志はもとより客観的可能性も存在しない。原判決後も、誠実な医療実践を続けている。

二、しかし、残念ながら原判決の量刑とりわけ罰金額、これらの情状を十分考慮したものとは言え、不当である。

即ち、原判決は、被告人に対し、その認定した逋脱額合計金二億三三六二万六八〇〇円(昭和五四年金六三五六万六〇〇〇円、昭和五五年八八〇〇万七〇〇〇円、昭和五六年八二〇五万三八〇〇円)を基準として、金五〇〇〇万円の罰金を科したが、前記諸般の情状を考慮するとき、右罰金額は本来の処罰目的を超えたものと言わねばならず、地域医療への貢献と患者本位の医療の確立を目ざす被告人の医療基盤そのものを破壊するおそれが強い。

以上のとおりであるから、原判決の量刑とりわけ罰金額はいささか重きに失し、破棄を免れない。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例